横浜

武山真吾 捕手 背番号61

享栄高 2002年ドラフト10巡目 プロ入りした後に彼女に振られたということをスポーツ報知にすっぱ抜かれ、なんとも悲しいプロ生活のスタートとなった武山は、3年夏の予選で.750を放った打撃と強肩がプロのスカウトに止まりドラフト10巡目でプロ入りした若手の…

飯田龍一郎 投手 背番号60

育英高 2002年ドラフト7巡目 高校時代も甲子園出場経験はなく、全国的にもドラフト的にもさほど目立った存在ではなかったが、長身からリリースされる135キロ級の速球と大きなカーブでスカウトの注目を浴び、ドラフト7巡目で横浜に指名された 2003年の1軍キャ…

鶴岡一成 捕手 背番号57

神港学園高 1995年ドラフト5位 高校3年の時に春の甲子園出場、阪神大震災があったときの兵庫県代表として、そして主将としてチームを引っ張っていったが、準々決勝で敗退 プロ入り後は捕手というポジションということもあり、2軍でのんびりと育成されること…

呉本成徳 内野手 背番号55

松商学園高−明治大 2003年ドラフト5巡目 中学校時代はキャプテン、高校時もキャプテンとして1999年夏の甲子園にも遊撃手として出場している そんなキャプテン人生は大学に入っても続き、2003年に明治大学の主将でレギュラーの三塁手として一場、牛田、岡本、…

橋本太郎 投手 背番号54

大体大浪商高 2004年ドラフト7巡目 元々は阪神のドラフト候補として名前が挙がっており、事前の指名情報も阪神以外は噂すら上がってない状態と、本人含めて誰もが阪神に行くであろうと思っていたが、何故か7巡目で横浜が指名、牛島監督の後輩に当たる 甲子園…

野中信吾 内野手 背番号53

神埼高-北海道日本ハム 2001年ドラフト5巡目 2003年に横山道哉投手とのトレードにより高卒3年目にもかかわらず2チーム目のユニフォームに袖を通すことになった野中、実は2001年当時、指名挨拶に訪れていたのが横浜のみという相思相愛の関係で、当時スカウト…

石川雄洋 内野手 背番号52

横浜高 2004年ドラフト6巡目 神奈川の強豪高校である横浜高校、地元の球団である横浜ベイスターズとも仲がいいだろうと思ったらこれが大間違いで、紀田彰一(横浜高-横浜-元西武)を解雇した1999年から関係がこじれ、横浜高出身の選手は取れないままでいた …

田中充 外野手 背番号51

西京商高 1997年ドラフト4位 高校時代は2年秋から3年夏にかけては打率.541、18本塁打、102打点、40盗塁という成績を残し「古都のゴジラ」という随分と荷の重いニックネームで呼ばれ、1997年に入団 しかし、そこからが順調には行かなかった。高卒2年目の99年…

セドリック・バワーズ 投手 背番号50

チーフランド高-デビルレイズ-マーリンズ 1996年ドラフト4巡目 横浜スタジアムのスコアボードにはトヨタ自動車の広告があるのだが、登録名は日産の自動車と同じセドリック、同じ名前のバワーズという負け運が凄かった投手が2001年にいた為である、ちなみに母…

斉藤俊雄 捕手 背番号49

豊田大谷高−三菱自動車岡崎 2004年ドラフト10巡目 豊田大谷高校時代は通算47本塁打を放つほどの強打者の捕手として甲子園を目指していたが、夢は叶わず、プロの話もあったらしいが、経験を積む為に社会人野球に 社会人野球では目立った存在ではなく、去年に…

後藤伸也 投手 背番号48

東北高 2000年ドラフト3位 高井雄平(ヤクルト)やダルビッシュ有(日本ハム)などを排出した東北高校の2000年の時のエースピッチャー、当時は1〜2位で消えるほどの逸材という評価だったが、横浜が渡辺雅弘捕手(現チームスタッフ)と共に東北高バッテリーを…

堤内健 投手 背番号47

宮崎日大高−日本大 2002年ドラフト9巡目 日本大学時代は、140キロ台後半のストレートとフォーク、スライダーを武器に東都大学リーグの記録となる18奪三振を達成し、エース館山昌平(現ヤクルト)と共にドラフト候補として名前が挙がっていた ドラフトファン…

谷口邦幸 投手 背番号46

町野高 1997年ドラフト1位 4球団が競合した川口は当たり前のようにくじを外し、外れ1位として横浜が指名したのが、町野高という現在は廃校となってしまった高校の最初で最後のプロ野球選手である谷口、かなりのビックリ指名だったことは間違えない なお、こ…

福本誠 内野手 背番号45

法政二高−法政大 1998年ドラフト4位 法政大学時代はベストナインも受賞した遊撃手だったが、それほど凄い成績を残していたわけでもなく、プロ入りするには多少印象の薄い選手ではあったが、5位金城6位小池と考えると、当時の首脳陣はそれなりに評価していた…

小池正晃 外野手 背番号44

横浜高 1998年ドラフト6位 横浜高校時代は、松坂大輔投手(西武)後藤武敏三塁手(西武)小山良男捕手(中日)と共に甲子園春夏連覇を果たし、小池自身も横浜高校打線の中核として活躍していた プロ入り後はシーレックスで活躍を続け、森政権では野手不足か…

マイク・ホルツ 投手 背番号43

クレムゾン大-エンジェルズ-パドレス-アスレチックス-パドレス-パイレーツ-デビルレイズ 1994年ドラフト17位 メジャー通産350試合登板、しかもその殆どが左の中継ぎのとしてで、年間60試合以上登板が3度もあるが、ここ2年間はメジャー昇格を果たしておらず、…

マーク・クルーン 投手 背番号42

シャドー・マウンテン高-メッツ-パドレス-レッズ-ロッキーズ 1990年ドラフト2巡目 メジャー初登板はパドレスに所属していた1995年、その後、メジャー定着できずに2001〜2002年は何故か登板記録すらなく、2004年にはロッキーズでメジャー昇格し6試合に登板す…

岸本秀樹 投手 背番号41

平安高-近畿大 2004年ドラフト5巡目 近畿大学時代は怪我で3年の秋にやっと初登板を果たしたのだが、そこからの活躍が著しく、4年の秋では21回2/3イニングを投げて防御率0.00という圧倒的な投球内容で一躍ドラフト候補に(なお、大学通産2勝0敗 0.33) 一時期…

桑原義行 外野手 背番号40

日大豊山高-日本大 2004年ドラフト8巡目 土居-河野や牛田-呉本などの上位指名選手の指名を確約する為のセット指名と思われがちではあるが、日本ハムも下位指名を検討しており、地味ながらプロ注目の打者だった 3年の春には東都大学リーグで.489で首位打者を…

ケビン・ウィット 内野手 背番号39

ビショップ・ケニー高-ブルージェイズ-パドレス-レッズ-タイガーズ-カージナルス 1994年ドラフト1位 春季キャンプが始まったばかりだというのに、3Aの外人を詳しく書くのは不可能に近いと思うのだが、始めてしまったものはしょうがない 元々ショートとして入…

稲嶺茂夫 投手 背番号38

東海大相模高−東海大−横浜 2000年ドラフト7位 東海大学では、2年の春からエースナンバーを背負い、1999年の春では首都大学野球リーグで最優秀投手賞とMVPをダブル受賞、しかも左投手、そんな好素材をドラフト7位で獲得できたのは訳があり、3年の時に肘を手術…

岡本直也 投手 背番号37

岡山理大付属高 2001年ドラフト4巡目 入団時には背番号13をつけていたが、那須野巧(2004年ドラフト自由枠)が13を希望した為に譲り、空いていた37番を背負う事に、前に背番号37をつけていた投手が富岡久貴なのが微妙ではあるが、元々金城龍彦や福盛和男(現…

村西哲幸 投手 背番号36

比叡山高 1999年ドラフト3位 比叡山高時代には春夏両方の甲子園に出場経験があり、特に夏の県大会では33イニング連続無失点を記録していたが、とにかくくじ運がない 春の大会では初戦で春の甲子園優勝した沖縄尚学と当たり敗戦、夏の大会では正田樹(現日本…

牛田成樹 投手 背番号35

徳島商−明治大 2003年ドラフト4巡目 2003年の明治大学でエースに納まっていたのは3年生の一場(明治大-楽天)でしたが、ドラフトにかかる4年生に好素材の投手が揃っていたのも特徴でした 先発を主にしていた岡本篤志(現西武)、左の中継ぎとして頑張ってい…

山田博士 投手 背番号34

大垣工高− 日通名古屋−中日 1994年ドラフト2位 中日時代はなんともパッとせず、6年間で通産成績は27試合 88イニング 5勝6敗 防御率4.09 と社会人入団ドラフト2位としては物足りない数字で2001年に種田仁、山田博士⇔波留敏夫(横浜-中日-元ロッテ)とのトレー…

古木克明 外野手 背番号33

豊田大谷高 1998年ドラフト1位 高校通産53本塁打の大砲候補で、甲子園では当時投手だった村田修一(横浜)や和田毅(ソフトバンク)とも対戦経験も本人はホークス志望、それを松坂大輔(西武)のクジを外した横浜が外れ1位として指名、小学生のときの作文で…

松家卓弘 投手 背番号32

高松高-東京大 2004年ドラフト9巡目 東京大学史上最高の投手 「東京大学からプロ入り」という話題性で獲得された投手というわけでは決してなく、弱小の東大野球部で2年からエースを務め、4年秋の初戦明治大学戦で完封するなど、通産成績3勝17敗ながらドラフ…

吉村裕基 内野手 背番号31

東福岡高 2002年ドラフト5巡目 高校通産43本塁打の大砲候補の内野手で、当初ダイエーが中位指名予定だったのをウェーバーの関係で先に指名できる横浜が交渉権を獲得、東福岡の先輩村田修一と同じチームに同じ年に入団することになった 高卒1年目で消化試合と…

土肥義弘 投手 背番号30

春日部共栄−プリンスホテル−西武 1997年ドラフト4位 西武時代はワンポイント中心のローズ(近鉄-巨人)キラーとして左打者相手に214試合に登板して6勝9敗1S 3.25という成績を残している しかし、酷使される危機を感じたのかは定かではないが先発転向を志願、…

新沼慎二 捕手 背番号29

仙台育英高−横浜 1997年ドラフト2位 この年のドラフト制度は2位まで入札制だった為に横浜、日本ハム、ヤクルトの3球団がクジをひき横浜が交渉権を獲得、なおクジを外した日本ハムは今年ブレイクの強打者の小田智之(興誠高)ヤクルトは守護神となった五十嵐…