村西哲幸 投手 背番号36

 比叡山高 1999年ドラフト3位
 比叡山高時代には春夏両方の甲子園に出場経験があり、特に夏の県大会では33イニング連続無失点を記録していたが、とにかくくじ運がない
 春の大会では初戦で春の甲子園優勝した沖縄尚学と当たり敗戦、夏の大会では正田樹(現日本ハム)や一場靖弘と大広翔治(共に楽天)率いる、その夏の王者桐生第一と初戦に当たり敗退、と比叡山の不運なエースピッチャーだった
 MAX140キロ中盤の速球と球界には珍しいナックルボールを操って勝負する投手だったが、故障に次ぐ故障でまともに投げる機会もなく、2003年にはサイドスローに転向し、投球もシュートとスライダーにストレートを組み合わせとなり、ナックルボールも使わなくなっていった
 高卒4年間で1軍登板がなくそろそろ首も危なくなってきた2004年だったが、サイドスロー転向が段々とハマってきた
 シーレックスで初めて規定投球回数に到達、25試合 7勝9敗4.13とそこそこの成績を残し、調子の良かった時期には初めての1軍マウンドも経験し、フレッシュオールスターにも出場、2004年はプロで野球をやっていて1番楽しかった年ではなかったろうか
 課題としてはコントロールも悪く、ストレートが凄いわけでもなく、かといってウイニングショットとなるボールを持っているかというとそれも疑問であり、全体的に微妙な投手、まずは制球を磨かないと1軍クラスの相手にはどうしようもない
 ようやく、日の明るい場所に一瞬でも立てたのだから、今後も長く野球を続けて欲しいものだ