古木克明 外野手 背番号33

 豊田大谷高 1998年ドラフト1位
 高校通産53本塁打の大砲候補で、甲子園では当時投手だった村田修一(横浜)や和田毅ソフトバンク)とも対戦経験も本人はホークス志望、それを松坂大輔(西武)のクジを外した横浜が外れ1位として指名、小学生のときの作文で「大洋、ロッテだけには入りたくない」と言い放っていた古木であったが、何とか入団
 2002年には .320 9本塁打で最下位に沈んでいたチームの希望の星となっていたが、スタメンサードで優遇され、本人もホームランを意識していた2003年は.208 22本塁打 37打点と、もう1回やれと言われても不可能というくらいに物凄い成績を残し(特に打点)サードを村田に奪われ、ポジションを外野に追いやられる事になった
 そんな古木も2004年は代打中心、相性のいい相手には先発、という起用法で多少落ち着きを取り戻したか、打率.290 9本塁打 27打点とベンチに置いておくには勿体無いくらいの感覚にはなる成績を残した
 打撃は2軍では課題というものは無くなっているが、三振が多いのが気にかかる、追い込まれると低めの落ちる球を面白いように三振したり、四球を意識してか2-3で積極性がなくなったり(その分四球増えたのでどうとも言えない部分もあるが)と、バットコントロールが現状の課題
 長年の課題といわれていた守備は見れる程度にはなってきたが、打球判断が悪かったり、フライの捕球が怪しかったりとまだまだ反省点は多い、しかし一時期シーレックスでショートを任されたり、ファーストをやったりとたらい回しにされていたことを考えるとなかなかの上達ではないか、多村と金城が離脱したらセンターやる羽目になっているのは本当に勘弁して欲しいが
 今後、調子のムラをなくし、苦手投手に子供のように扱われるのを超えれば、規定打席も見えてくるだろう