山田博士 投手 背番号34

 大垣工高− 日通名古屋−中日 1994年ドラフト2位
 中日時代はなんともパッとせず、6年間で通産成績は27試合 88イニング 5勝6敗 防御率4.09 と社会人入団ドラフト2位としては物足りない数字で2001年に種田仁山田博士波留敏夫(横浜-中日-元ロッテ)とのトレードで横浜の一員となった
 当時、優勝メンバーで外野の中心となっていた波留をトレードに出したことは某掲示板などでかなり叩かれていたが、トレード後の彼らの成績は
 波留敏夫 210試合 打率.218(522-114) 1本 39打点
 種田仁  426試合 打率.279(1305-364)20本 144打点
 山田博士  62試合 115 2/3イニング 4勝10敗 3.74
 と前評判を完全に覆すから、野球というのはわからないものだ
 2002年に一時期防御率1位(その年7試合登板)になったこともある投手ではあるが、2004年は便利屋として中継ぎを主に30試合に登板、それほどの安定感もなかったが使い勝手のいい投手で、後半の中継ぎ崩壊の時期に川村、門倉、木塚と共にそこそこの損害で食い止めていた、中継ぎ適性の方が高かったのだろう
 予めフォークの握りをバッターに見せるようにして、その後フォークの握りのままストレートを投げるなど、なかなか器用で面白い投手である
 横浜という地で自分の居場所を見つけた山田、今年も中継ぎ、ロングリリーフを中心に地味にチームを支えて欲しい