鶴岡一成 捕手 背番号57

 神港学園高 1995年ドラフト5位
 高校3年の時に春の甲子園出場、阪神大震災があったときの兵庫県代表として、そして主将としてチームを引っ張っていったが、準々決勝で敗退
 プロ入り後は捕手というポジションということもあり、2軍でのんびりと育成されることになったが、そこから日の目を見るのが長かった
 高卒5年目にして1軍出場を果たすが、上には当時谷繁や秋元などがポジションをがっちり固め、その谷繁が中日にFAしたり、秋元が引退したりと椅子が空いたように思えたが、そこに相川や中日からトレードでやってきた中村が椅子をゲット、2002年アジア大会の代表に選ばれ成長の兆しは見せていたが、試合数が思うように増えずに10年目を迎えた
 ここでやっとチャンスが訪れる、相川がアテネ五輪に招集、中村も衰えを隠せずということで鶴岡が1軍に長期間いることとなり、プロ入り初本塁打などを含む打率.400という成績で1軍を手中に収めた
 今後は1歳上の相川との競争となるが、現状打撃、守備共に相川のほうがリードしているのが現状で、特に佐々木当番時には相川が必ず代わってマスクを被っているほどだった
 今後その幅をどの程度縮められるか、少ないチャンスを物にすれば正捕手も夢じゃない